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森と文明 6


 森と文明の6回目です。

 本「森と文明の物語-環境考古学は語る」 安田善憲著の概要です。

ヨ-ロッパによる植民地時代についてです。




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-----(引用開始)----------------------------------------------------
 失われた楽園の森

 森を破壊しつくしたヨ-ロッパの人々にとって、楽園とは深い木々に覆われたところに穂ほかならない。 ヨ-ロッパの人々にとって楽園とみなされた最初の島は、大西洋のマディラ諸島だった。

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 ポルトガル人はポルトガル語で木の島、すなわちマディラと名づけたのである。

 ポルトガル人たちがこの島で最初に始めたことは、サトウキビの栽培だった。 地理上の発見時代以前のヨ-ロッパでは、甘いものは蜂蜜しかなかった。 気候の冷涼なアルプス以北のヨ-ロッパでは、サトウキビは栽培できなかったからである。

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 当時、ポルトガルの植民地政策を策定していたのは、エンリケ(ヘンリ)航海王子(1394~1460)だった。 エンリケ王子は、マディラ諸島にサトウキビから砂糖をとる技術の専門家を派遣したりして、サトウキビの栽培に乗り出したのである。
 サトウキビから砂糖を精製するためには、森を伐李開いてサトウキビ畑をつくり、続いて製糖工場をつくる必要がある。
 それだけではない。 サトウキビから搾りだした液汁を煮立てる必要がある。 このため、大量の木材が燃料として消費された。 森の破壊はひどくなる一方だったのである。

 砂糖工場は「甘い地獄」と呼ばれた。
人々は熱気と煙と煤にまみれて働いたのである。 煮立った液汁を固めて砂糖とし、それをポルトガルに運ぶためには容器が必要となる。 その容器に使う樽のために、またその樽を運ぶ船のためにも、マディラ諸島の森は破壊されていったのである。

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 船大工たちはこの木材を利用して、さらに外洋を航海できる大型の帆船をつくることができた。 ヴァスコ・ダ・ガマが喜望岬をまわって東インド諸島にまで達することができたののは、このマディラ諸島からの大量の木材の供給があったからにほかならない。

-----(引用終り)----------------------------------------------------


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