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ニュ-ジ-ランド紀行2010 4


 以降、小雨の中を走る、なかなか昼食が取れそうな場所が無い、海岸線の町は、オフシ-ズンということもあるのか閑散としいました。 途中、小さな町のカフェで昼食を取って、ワンガヌイを過ぎてから、幹線から横道へ入ってしばらく走ったところでラタナ到着、


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 これが目的の、ニュ-ジ-ランド・ラタナ教会
 そして、虹が出ました!

 正門とゲ-トの碑文

 NZ2010034.jpg

NZ2010035.jpg

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 本、「ニュ-ジ-ランドを知るための63章」(明石書店)の内容を要約すると

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 創始者T.W.ラタナは、1873年生まれ、1918年11月に神の啓示を受け、治療師として名声が高まりラタナ・パよ呼ばれる。 当初、プレスピリアン教会信徒であったが、キリスト教の教義に加えて、マンガイ(口寄せ、すなわち彼自身)を同列に置いて祈祷することにより、キリスト教会より反発されて、独自のニュ-ジ-ランド・ラタナ教会を登録する。
 1924年にヨ-ロッパに渡るが、その目的は、政府のワイタンギ条約不履行によって生じたマオリの窮状をイギリス政府等に訴えるためだったようである。 帰途、日本に立ち寄るが、ちょうど船員のストライキに遭遇して路銀が欠乏する。 この窮状を救ったのが田中重治氏(キリスト教の関係)で一行に淀橋の聖書学院を宿舎として提供する。 中田氏とラタナは性格的にも合い通じるところがあったようで、後に中田氏は26年のラタナの教会堂完成、献堂式に招かれてニュ-ジ-ランドを訪問している。

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 教会堂以外にも博物館があるとのことで、町を散策して日用品店で聞いてみたら、その方がラタナのお孫さんらしく、日本から来たといったら、人を読んでくれて詳しく案内してくれることに、

 教会堂から、大きなイベントのときに使いホ-ル・炊事場・宿泊所等と案内してもらった。

 ラタナ教会と日本との関係は、中田氏以外にも、第二次大戦中は、在留日本人をラタナ教会の方が匿ったりしていたとのことです。

 で、博物館ですが、どうもそうではなくて、病の方の備品等悪い気が入ったものを倉庫に閉じ込めているとのこと、昔、マオリが呪いを使っていたのを、ラタナがそれが悪いことだからと止めてた様です。

 ここで暗くなってしまったのでお礼をいって別れて、ウエリントンへ

 小雨が降ってきて、暗い道を飛ばすのは結構しんどいのですが無事にウエリントン近郊に到着して、
 宿のモ-テル探し、2件目で見つかって、そこに宿泊、


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